【戯言】トレード日誌に替えて
2019年10月より、株式投資を始めた。
お金が欲しかったというのは大前提の上、例えば登山や将棋に通ずる精神世界を感じた、というのも理由の一つだ。
ひとつひとつ、一寸違わず積み上げていくような繊細さ。
2019年の春、新卒で適当な会社に就職した。
というのも、自分の最終的に辿り着きたい場所は社会性とは全く別のところにあり、けれどそれはすぐに金になるようなことでもなかったから、就職は当面飯を食べるための手段で、正直なんでもいいやという心持ちであった。
通勤の合間をぬって、そっちはそっちで進めればいいと考えていた。
しかし、予想以上に日々の時間を取られてしまう。1週間のうちの5日、5/7もの時間を勤務に費やすと考えると冷静にヤバい。
また、想定していた事ではあるが、自分には「社会人」という生き方が、あまりにも向いていなかった。
満員電車、社交辞令、競争、利益、決められた商品の売り込み…。
半年にして早くも瀕死状態。
周りには同じ仕事を生きがいのようにこなす人もいる。
それを否定するつもりはなく、むしろ日本という国の繊細さ、行き届いた秩序はそういった人々によって支えられているのだということを実感する部分もある。
単に自分には向いていなかったという話だ。
何より、そういった環境に順応していく事が、本来本当にたどり着きたい場所の真逆へと歩いていく事になるような気がしてならず、苦痛だった。
そんな中、株式投資の存在を思い出した。
ロバートキヨサキの『金持ち父さん・貧乏父さん』を読んでいた自分は、少額なりとも学生時代からの貯蓄があった。いつかなんらかの形で投資をしようと思って貯めていた貯金だ。
知識は全くなかったが、前述で述べた通り相場・投資に伴う精神の持って行き方には前から興味があり、トレーダーごとに独自の手法を持っている点(また、むやみに公開しない点)なども、職人の様で好感が持てたため、とりあえず手をつけてみるか、という状況で口座を開設。
そんな甘いもんじゃない、という言葉を唱えつつ、まずは記録をつけていこうと思う。